おはようございます。
む〜です。
「our favirite takarazuka」を見てから在宅ワーク中の休憩時間に毎回あの番組を流しています。
何度見ても素晴らしい。。
特筆すべきはれいこさんのお顔が内側から発光するかのように瑞々しく光っていること(まじで肌綺麗)
あの番組を何度も見るうちに、今までの宝塚、そしてこれからの宝塚についてぼんやり考える時間がありました。
色々考えていて思ったのは、今後の宝塚は
「ONE FOR ALL」よりも
「ALL FOR ONE」の傾向が強くなっていくのではないかなということです。
誤解されがちな「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」
先に誤解されがちなこのフレーズについて補足をさせてください。
私はつい最近までこの言葉の意味を
「1人はみんなのために みんなは1人のために」
だと思っていたんですね。
しかし、先日ラグビー好きな友人と話しているときに「その解釈は間違っているよ」と指摘されました。
彼曰く、本来の「One for All, All for One」の意味は
「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」
なのだそうです。
日本人的感覚で直訳していましたが、実はこれが本当の意味合いで。
「みんなは1人のために」というのは日本人の勝手な(?)解釈だそうです。
小学校でも運動会のときに「1人はみんなのために!みんなは1人のために!」と言わされてきたので、
二十数年間ずっと「みんなは1人のため」だと思って生きてきたので驚きましたが、「みんなは一つの目的のために」の方が個人的には好きだなと思いました。
そしてこの話をしているときに思ったのは「宝塚における「One for All, All for One」」。
今までの宝塚はどちらかというと「one for all」的な部分がありましたが、
今の宝塚は「all for one」的な傾向が強いのかも・・?とこの時に感じました。
今までの「ONE FOR ALL」トップスター制度
過去のトップさんを見ていると圧倒的な実力やカリスマ性、オーラを持ってして2番手以下の下級生たちを引っ張っていく構造が多かったよう感じます。
しかし、逆に言えば劇団側が選んだトップさんがあまり観客に受けない場合はその影響がもろ観客動員数に表れていました。
トップさんによってこんなに客席の埋まり具合が違うのだと愕然とした時期もありましたしね。
このような経験をもとに、現在の宝塚歌劇では「全員がスター(絶対的トップスター制度の廃止)」を目標の一つに掲げているのだと思います。
極論、トップは誰でもいい「ALL FOR ONE」精神
今までもそうだったかもしれない。
しかし、
ここ最近の宝塚を見ていると「誰をトップに据えて人気を集めるか」よりも「その組のゴールにどうすればたどり着けるか」を目指しているように見えます。
極論で言ってしまえば、トップは誰でもいい。
- トップとして宝塚の顔をつとめられるか
- 精神的重圧に耐えられるか
- 出ずっぱりでもバテない体力があるか
はトップ就任するための必要最低事項かもしれませんが、
それ以外のオーラや実力は後付けでも構わないいいい。
ここで重要なのは
「誰が優秀か」
「誰が一番秀でているか」
ではなく、
それぞれがそれぞれの役割を果たしながら、
チーム(組)が一つの目的(収益アップ)に向かって機能し、お互いをフォローしあっていくという体制なのだと思います。
特に最近のトップさん、そしてこれから就任されるであろうトップさんとその周りのジェンヌさんを個々ではなく全体像として捉えると
「大きな目的を達成するために組まれた編成」だということがよくよくわかります。
お互いがお互いの足りない部分をサポートし、組を盛り上げていくと言う大きな目標のために組まれたバディたちなんだと最近思うようになりました。
そう考えると、最近の人事やこれからの人事もより一層理解できるのではないでしょうか?
トップスターに依存しない組織作り
今後の宝塚はトップスターに依存しない組織づくりをしていくのだろうな〜と
ラグビー好きな友人の話を聞きながら考えてました笑
この政策があっているのか間違っているのか。
果たして私の妄想止まりなのかわかりませんが、こう考えると最近の人事も妙に納得できてしまうのでした。
もしかしたら宝塚歌劇は昔からこういう考えなのかもしれないけど、
自分にとってはこの気づきが新鮮で最近の宝塚とリンクする部分もあったのでシェアさせていただきました^^
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