おはようございます。
む〜です。
皆さんはふとした瞬間に思い出す人っていませんか?
私は宝塚のことを考えるときに、時々思い出す方々が数名います。
1人は全く話したことがない方。
もう2人は話したことはあるけど、その場限りでその後一度もお会いしたことのない方。
どなたももう私とは接点のない方々。
でも私にとっては彼女たちこそ、宝塚歌劇そのものであるとずっと感じています。
今日はそんな私が出会った方々について思い出話をさせてください。
「付箋少女」
私が月組の「雨に唄えば」を観劇した日。
開演時間よりも少し早く赤坂についてしまったので、近くのカフェで母と一緒にまったりすることにしました。
コーヒーを飲みながら「今日の公演について」や「今のどのジェンヌさんが気になっているか」で盛り上がっているところに1人の少女(まだ小学生〜中学生くらい)がお母さんに連れられて同じカフェに入ってきました。
彼女は私たちのすぐ近くの席に座り、お母さんがコーヒーを注文しにいっている間にバッグからゴソゴソと雑誌を取り出しました。
それが「宝塚おとめ」でした。
宝塚おとめを取り出したくらいでは対して珍しくないですよね。
おとめを持ち歩いていらっしゃる方は時々いらっしゃいますし、私もみたことはあります。
でも彼女の「おとめ」だけは今でも鮮明に思い出せるくらい記憶に残っています。
何百回読み直したのだろうと言うくらい表紙はボロボロ。
そして数百枚以上の付箋が本のページ部分が見えないほど貼ってありました。
もう「付箋を読んでいる」と言うレベルでおとめの表紙も裏表紙にも付箋。
各ページから飛び出しまくっている付箋でもはやページの側面が見えない。
しかもその付箋はいろんな色で縁取られていたりもしが書いてあったりして、一枚も無駄な付箋がなさそうだった。
きっと彼女なりにいろんなジャンル分けがあるのでしょう。シールも貼ってあったりしていて重要そう?なページの付箋はめちゃくちゃキラキラでした。
彼女はお母さんがコーヒーを持ってきた後も一生懸命おとめを開いて「どの生徒さんが今好きか」を一生懸命プレゼンしていました。
そんなにまじまじと彼女をみていたわけではないけれど、彼女の些か興奮気味な声や優しいお母さんの頷きが視界に入っていなくてもじんわりと感じ取れた。
そのときに私は「宝塚を好きってこういうことだよね」と思い知りました。
観劇回数と使ったお金だけが「好き」の表現方法ではない
そのときに思ったのは、
観劇回数と好きなものにお金を使うことだけが「好き」の表現方法ではないなということ。
彼女のお母さんは娘さんに比べると「熱心な」宝塚ファンという雰囲気ではありませんでした。
これは私の推測ですが、今回の観劇は娘さんの熱烈な希望で実現したようでした。
観劇回数は少ない。
でもおとめを(たぶん)毎日読み込んでお気に入りのスターさんを見つけて楽しんでいる。
そんなピュアな彼女の宝塚歌劇の楽しみ方に勝手に触れて勝手に泣きそうになりました笑
宝塚を毎公演見るようになると彼女が持っていたであろう「一回の観劇にかけるキラキラした喜び」とか「手元にあるグッズを擦り切れるまで使う」とかそういう初心を忘れそうになります。
初心を思い出させてくれてありがとう。
なので彼女と出会ってからは、時々あの時の彼女の姿を思い出すことにしています。
名前も知らない。
話したこともない。
こちらが一方的にお見かけしただけの「付箋少女」。
でも彼女のキラキラとしたヅカヲタ姿は今でも私の脳裏に焼き付いて離れません。
一度もお話ししたことないけれど、「私に初心を思い出させてくれてありがとう」といつか伝えたいなぁと思っていたので、今日このブログを通して伝えさせていただきます。
あの時、あなたと同じカフェでコーヒーを飲むことができてよかった。
ありがとう。
それではまた明日!
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