おはようございます。
む~です。
沢山の方から励ましのお言葉を戴き復活しつつあります。
皆さん、こんな私のことを心配してくれてありがとうござます><
昨日も書いたけれど彼女のことを思い出すと不思議と泣けなくて。
あのキラキラした笑顔にまたどこかで出逢える日を楽しみにしたいと思っています。
べーちゃん、じゅりあさんについてはまだ退団まで日数があるのでその期間にゆっくり想いを消化してからお二人へのメッセージをブログに書こうと思います。
さて。今日は先日発表されたCASANOVAの配役で気になる部分があったのでその部分について語ります。
気になったのは「今更 研13の鳳月杏さんに女役をさせること」について。
発表当日は配役どころじゃなくて、後日改めて考え直したのですがなんで今女役をさせるのでしょうね?
生田先生の真意がわからない
生田先生と言えば92期生男役を女役(というか夫人役)にさせたがる先生ということで巷では有名なわけですが笑 (92期生の凪様にロラン夫人役を振ったのも彼です)
私、いっつも思うけど生田先生と色々趣向が合わないんですよね~。
だって、今一番脂がのっている研10年以上の男役に女役をさせる意味がどこにあるのか全然わからないんですもん。
正直な話、「ひかりふる路」で凪様が演じたロラン夫人だってわざわざ男役の凪様が演じる必要なかったよね?
凪様は最高でしたよ!?大人の色気あり、類まれな美貌ありで本当に美しいロラン夫人だったけども、別に凪様じゃなくてもよかったよね。
雪組娘役にあの手の夫人役を演じられないのかしら・・と思ったけど、見ているとどうもそんなことなさそうだったし。寧ろ「ロラン夫人」役を娘役に与えることで一皮剥けそうな娘役さん沢山いたけど。。
あの配役は雪娘にも凪様にも失礼だったと個人的には思うのですが皆様はどうお考えだったのでしょうか・・。
そして今回もちなつさんを夫人役に抜擢した理由は一体何なのだろうか?
花娘の誰も「コンデュメル夫人」を演じることはできない。
男役13年演じてきた鳳月杏にしかできないと踏んだからこその采配なのだろうか?
「ひかりふる路」の時のように「え。これ凪様じゃなくてもよかったじゃん。私は凪様の男役姿を見たかった・・」となるような出来栄えではファンは満足しないと思う。
娘役の輝ける場所は限られているのに、そのポジションを奪ってまで男役を立てなければいけないのか?
そして研10以上の男役に女役をさせることに何の意味があるのか。
私には生田先生の真意が全く分からない。
どうか舞台で納得できる答えを出してほしい。
男役に女役をさせたがる風潮
もし男役が女役を演じるのが好きな方いたらごめんなさい。
でも私は基本的には好きじゃないです。
理由は先ほど述べた通りで、貴重な娘役のポジションを奪うことになるから。
あともう一つは・・とても個人的なものなのですが・・
男役を女役にすること自体が”色物”として扱われていると感じてしまうから。
私だけかもしれないのですが、上級生の男役さんに女役をさせる意味が本当にわからなくて。演出上の”物珍しさ””色物”的な意味しか思い浮かばないのです。
以前藤井大輔先生(だったかな?)が「(男役が女役をすることでショーに)迫力を出したい」と仰っていたのですが、ちょっと悲しかったです。
彼女のたちの男役人生は女役としての迫力を出すために培われたものではないだけに残念に感じてしまいました。
迫力を出すために・・彼女たちの長年男役芸を捨てて女役にさせるのってどうなのでしょう。
逆に若手の男役に女役を1,2回させてあげるのは経験上必要かなと思っています。
まだ自分の男役像も定まっていない、色香の纏い方に悩んでいるような下級生男役には一度経験したほうが今後の芸に役に立つと感じているからです。
しかし、すでに自分の男役像も定まっていて、自分だけの色気の出し方も会得している上級生男役にやらせるのは酷というか・・”怖いもの見たさ”などの野次馬感を感じます。
娘役と男役が存在する意味をよく考えて欲しい
宝塚に男役と娘役が存在する意味を演出家・脚本家の方にはよくよく考えていただきたいものです。
男役が女役・娘役をやるようになれば娘役なんていらなくなっちゃうじゃないですか。
娘役は男役を引き立てるだけが仕事ではありません。
娘役には娘役の立場としての仕事がたくさんあるのです。
どうか娘役を添え物扱いしたり、男役が女役を演じることを色物扱いしたりしないでください。。
よろしくお願いします。
にほんブログ村