おはようございます。
む〜です。
今日はここ数年考えていたことについて書きます。
数年間、暇さえあれば考えているこのテーマですが未だに結論を出せずに現在まできておりまして。
というのも、近年の宝塚歌劇団がアイドル化しつつあるからです。
ちょっと昔であればタカラジェンヌはアイドルじゃないと断言できたかもしれません。
しかし、時代が移ろうにつれてファンのニーズも変わり、宝塚歌劇団の方針も変化し、今ではタカラジェンヌとアイドルを全くの別物として考えるのが難しくなってきました。
宝塚歌劇団はアイドル集団なのか?
タカラジェンヌとアイドルの明確な違いとはなんなのか?
ヅカヲタはドルヲタ(アイドルヲタク)なのか?
今日は今現在私が考えていることについて書いていきたいと思います。
アイドルとは?
「idol」という英語の意味を考えると、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」なんて言葉が頭に浮かびます。
列挙した意味だけをみると、タカラジェンヌにも通じるところがありますよね。
タカラジェンヌは偶像であり、崇拝される人物であり、憧れの的でもあります。そして熱狂的なファンがタカラジェンヌ一人一人についています。
ここまで書くとアイドルとタカラジェンヌは限りなく近しい存在のように見えます。
実際、ファンの見方によってはこの二つの存在はほぼ=で結びついているかもしれません。
しかし、私にとっては「タカラジェンヌ」と「アイドル」は大きく異なる存在なのです。
それは私が「アイドル」に求めるものと「タカラジェンヌ」に求めるものの違いにあります。
もし、誰かに「アイドルとは?」と問いを投げかけられた場合。私は少し悩んでこう答えると思います。
「私にとっての”アイドル”とは、成長過程をファンと共有することが最大の魅力であり、存在そのものに魅力(価値?)がある人物のこと」
そしてコレこそがタカラジェンヌとの最大の違いだと私は思うのです。
宝塚歌劇団とアイドルの違い
タカラジェンヌは全員が例外なく宝塚歌劇団に入団しており、全員が宝塚歌劇団の劇団員として存在しています。
アイドルはグループなどに所属しなくても単体でアイドルとして認められ、存在そのものに魅力(価値)が発生しますが、タカラジェンヌは宝塚歌劇団(演劇・歌唱に重きをおく団体)に籍を置くことで初めてタカラジェンヌとしての魅力(価値)が生まれます。タカラジェンヌと呼ばれる人々が宝塚歌劇団に籍を置いた経験がなければ彼女たちのことは”タカラジェンヌ”とは呼べず、タカラジェンヌとしての魅力は一切発生しません。
つまり、タカラジェンヌの場合はアイドルと違い”個人”を売ることが魅力に直結するのわけではないのです。
何よりも先に、彼女たちをタカラジェンヌたらしめる宝塚歌劇団の劇団員としての魅力(価値)が問われてくるのです。劇団員としての価値が認められて初めて彼女たちの存在そのものへの魅力が問われてくるのではないでしょうか?
コレがアイドルとタカラジェンヌの大きな違いだと私は感じています。
また、両者では最優先するべき目標も異なります。
アイドルは存在そのもの(容姿・性格・人間関係・得意技etc)に魅力を持たせ、個人を売ることが最優先目標です。
対してタカラジェンヌは劇団員として「良い作品」を作ること。コレが最優先目標です。
タカラジェンヌの最大の魅力は存在そのものでも、ファンと成長過程を共有することでもありません。
勿論、タカラジェンヌを「アイドル視」した場合は、コレが最大の魅力になるのでしょうけど、本来彼女たちは一つの素晴らしい舞台を作るために雇われた劇団員。
タカラジェンヌがアイドルと決定的に違う点。
それは、彼女たちはアイドル(成長過程をファンと共有することが最大の魅力であり、存在そのものに魅力(価値?)がある人物)である前に、歌劇団の劇団員だという点ではないでしょうか?
過剰なファンサービスがアイドル化を引き起こす。
この記事の冒頭で私は「近年の宝塚歌劇団はアイドル化しつつある」と書きました。
”劇団員”という前提よりも”アイドル”という前提が先に来てしまっているのがこう感じる原因かもしれません。
いつからこうなったのか。
明確な時期はわかりませんが、客席降りを増やしたり、アイドルのような場面をショーで作ったり、AQUA5や紅5のようなアイドル集団を個人を寄せ集めて作ったりすることによって確実にアイドル化への道を道を進んできたように思います。
要は過剰なファンサービスです。
歌劇団がタカラジェンヌを”劇団員”として扱うのではなく”アイドル”として扱うようになった。
コレがアイドル化の原因ではないでしょうか?
「多くの宝塚ファンがタカラジェンヌをアイドル視するようになった。」というのも一つの原因かもしれませんが、それよりも「宝塚歌劇団の方針変更によってタカラジェンヌのアイドル化が急速に進んだ」という方が説得力があります。
宝塚歌劇団がアイドル集団となるその日が来たら。
こんな記事をなぜ書いたのか。
今更すぎて話にもならないような駄文をなんでここまでダラダラ書いてきたのか。
それは私がタカラジェンヌのアイドル化に疑問を抱き、更には困惑しているからです。
直近で言えば、花組の「Delight Holiday」。
とっても楽しかったのですが「宝塚を観ている」感じはまるでなくて。
「私が楽しんでいるのはアイドルとしての彼女たちであって、彼女たちのルーツである劇団員としてではない」と気付いた時にハッと我に返ってしまったんです。
コレでいいのかな?って。
アイドル化が進めば進むほど、タカラジェンヌとしての品格・尊さ・麗しさ・高貴さが失われていくようで怖いのです。
今のタカラジェンヌって過去最高に”身近に感じられる存在”になってしまっている。そして彼女たちの”バックグラウンドやパーソナルな事柄”が劇団員としての実力よりも遥かにフォーカスされている。それがすっごく気になります。
客席降りはファンとしてとっても嬉しいのですが、一番悲しいのは「客席降りしてきてくれた時(アイドルとしてのタカラジェンヌ)は魅力を感じたけど、舞台上で演技しているときの彼女(劇団員としてのタカラジェンヌ)に魅力を感じられないとき」。
何が本業で何が付随する魅力なのか。。よくわからなくなります。
難しいことなんて何も考えずに、屁理屈言わずにただただ感じたままに楽しめたらどんなに楽だろう。
でも私はどうしても考えてしまうのです。
このままでは宝塚歌劇団。。というかタカラジェンヌは完全にアイドルになってしまうのではないかと。
「宝塚歌劇団が宝塚歌劇団であり続けるために守らないといけないものは何か?」
コレについて劇団には再考していただきたいのです。
一介のファンである私なんかには何が一番大切かなんて断言できません。
ただ、宝塚歌劇団がただのアイドル集団となるその日が来たら。
私は宝塚歌劇団の舞台から何も言わずに離れていくでしょう。
でわ。
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