おはようございます。
む〜です。
ちょっと前にポーの一族DVDを爆押しする記事を書いたのですが笑
あれを書いていて突如「ポーの一族みたい」症候群に襲われました。
ポーの一族を見返して毎回思うのうは、
宝塚歌劇団には『美しさ』のみを求めるべきなのか
ということ。
今日はこれについてお話しさせてください。
宝塚の舞台、それは『豪華で品の良い美しさ』
花組『ポーの一族』を見ると、
久しぶりに『宝塚』を見た気分になりました。
この感覚はここ数年なかなか味わえない感覚です。
強いて言うなら先日観劇した「ダルレークの恋」で感じた感覚に似ています。
こんなに『宝塚歌劇団の舞台を観た!』という感覚を植えつけてくれる舞台が今の宝塚の作品ではあまり感じられないので、こういう気持ちに遭遇すると嬉しかったりします。
この感覚は一体どこからやってくるのだろう。
私は何を観て、何を感じると『宝塚歌劇団の舞台を観た!』と思うのだろう。
色々考えた結果、『豪華で品の良い、非現実的な美しさ』に触れた時、
私はこう感じるらしいです。
そして私はこれを感じると、それだけで宝塚歌劇団に対して7割型満足していることに気づいた。
宝塚歌劇団には美しさのみを求めるべきなのか
前述した通り、宝塚独特の『豪華で品の良い、非現実的な美しさ』に触れられただけで
私は7割型満足している。
こう考えると私が宝塚に最も求めているものってもしかして美しさなのかもしれない。
今まで、”歌劇団”なんだから歌もお芝居も上手くないといけない。
こう言ってきた私だが、これを宝塚歌劇団に過剰に求めるのは間違いなのかもしれないと「ポーの一族」をきっかけに思い直しました。
宝塚には7割『美しさ』 3割『芝居・歌』を求めるのが正しい宝塚歌劇団の舞台鑑賞なのかもしれない。
舞台の基礎ができているからこそ、美しさのみに酔い痴れるのか
いつもだったらこんなことは思わない。
なんで「ポーの一族」や「ダルレークの恋」に対してこんなことを思ったのかもよくわからない。
もし一つ、思い当たるとすれば
それは出演者全員が美しく、そしてお芝居も歌も最高だったから。
これに尽きるのかもしれない。
舞台中、下級生が歌っても上手い子ばかりで、気が逸れることなく物語に入り込むことができた。
お芝居もどこを観ても上手な方ばかりでどんどん感情移入できる。
このうえで(舞台の基礎ができた上で)舞台を見ることができたから
圧倒的な美しさに没頭し、そして感動できたのかもしれない。
宝塚らしい作品を求める旅は続く
これからも私が宝塚らしい作品を求める旅は続くでしょう。
圧倒的な美しさで私を翻弄し、心を揺さぶる歌と芝居・セリフで私を魅了してくれる舞台を次はいつ見れるのかな・・。
そんな日が来ることを楽しみに今日も社畜してきます。
それでは〜。
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