だいもんのサヨナラパレードが無いらしい。
おはようございます。
むーです。
最初の一文の通り、2日の昼休み中にだいもんのパレードが無いと聞きました。
遠くから押し寄せる『悔しさ、寂しさ』
なんとなくわかってはいたからドカンと衝撃が来ることはなかった。
でもその日一日中、波打ち際に立っているかのように悲しくなったり何も感じなくなったりしていた。
『わかっていたことじゃ無いか』と自分を納得させられたのも束の間、遠くから悔しい気持ち、悲しい気持ちがザーッと押し寄せてきてやるせない気持ちになる。
最後は泡沫の如く感情が消えていって何も残らない。
こんな気持ちは早く消さなきゃいけない。
だいもんのためにも笑顔で送り出さないと。
焦る気持ちを抱えたまま、何故か『蘭寿とむラストデイ』を見始めてしまったのがダメだった。
ひたすらに「見たかった」が増えてしまったから。
沢山の『見たかった』は消えない
noteで語った通り、わたしはだいもんのファンだった。
ある時からファンといえるほどの熱狂的な気持ちは無くなってしまったけど、今でもずっと好きな気持ちは変わらない。
だからだいもんのパレードも遠くからでいいから現地でお見送りしようと決めていた。
それが中止になったと聞いて、なぜか見始めた『蘭寿とむラストデイ』。
蘭寿さんの退団パレードで一生懸命盛り上げようと頑張っていただいもんがそこにはいた。
当時、このパレードを見た時。
自然と『いつかだいもんも大勢の人に見送られていく』場面を想像していたし、こんな状況になるまでそれがだいもんの最後に最もふさわしいと信じてやまなかった。
だから私のだいもんの最後に対する欲は尽きない。
御神輿に乗ってるだいもんを見たかった。
そばで元気いっぱい笑っているきぃちゃんを見たかった。
組子に囲まれて幸せそうなだいもんを見たかった。
幸せいっぱいの2人を見たかった。
ファンの人たちの温かな声に見送られて、楽屋入りするだいもんを見たかった。
だいもんが『悲しまないで欲しい』といっても、私は欲深いファンだから『見たかった』という気持ちは尽きない。
私ははっきり言いたい『コロナが憎い』と。
笑顔で終われるために私ができること
嘘のようで本当の話。
2月8日月曜日に望海風斗は卒業してしまう。
まだどこかでだいもんが宝塚を卒業することを信じられていない自分がいる。
だいもんはずーっと宝塚にいてそのまま原子レベルまで分解されていって宝塚歌劇団という場所に空気のようにいつまでも存在する。
そんな風に違和感なく思ってしまっている自分がいたらから、まだ卒業に対する実感を持てていなかった。
でもさよならパレードの中止を聞いて、一気に現実に引き戻されたというか。
ライブ配信なり、劇場に観劇しに行くなりでなんとかお見送りしなくては。
とにかく彼女を好きな気持ちにある程度のケジメをつけなくては。
そう思って2月8日のライブ配信で自分にできることを色々考えた結果。
涙で前が見えなくても、何かに悔しくても笑顔で拍手する。
これくらいしかなかった。
なんて自分にできることは少ないのだろう。
そんな自分を残念に思う気持ちはもちろんあるけれど、今はとりあえず来るべき日にちゃんと自分の気持ちと向き合って、心の中でだいもんのさよならパレードをやることに集中しようと思う。
朝から自分語りしてしまって申し訳ないです。
どこかに今の自分の気持ちを残しておきたくて、ブログで吐き出すことになっちゃいました。。
同じ気持ちの人、いるかしら??
それでは!
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