宝塚の観劇感想 雪組

孤軍奮闘の望海風斗について語る(雪組「凱旋門」「Gato Bonito!」)



おはようございます。

む〜です。

金曜日から胃痛に悩まされてます><

雪組観劇も無事終えたし、バリ旅行まであと一週間というところだったのでこのタイミングで体調を崩せてよかったです笑

猛暑も続いていますので皆さんも体調管理には十分ご注意くださいね。

ということでベットでゴロゴロしながらこのブログを書いています。

今日は8月1日に観劇した雪組公演についてまた書きたいと思います。

元気全開で走りまくっている望海さんについてです。

花組時代から応援して彼女が元気に舞台に立っているというその事実だけで目頭が暑くなる私ですが笑

今回も色々思うところがあったので感じたままに綴っていきます。

 

二番手としての望海風斗

私は花組時代からずっとだいもんが好きで、雪組に異動した後も最初の2作品くらいまでは追いかけていたのですが、途中からどうしてもちぎみゆのコンビ像とトリデンテの売り出し方が苦手になり(ファンの方には申し訳ないけれど苦手なんですよね)ある時を境に雪組を見に行かなくなりました。

こんな経緯があってだいもんの雪組二番手時代が私の中では欠落していたのです。

なので今回久しぶりにだいもんの二番手としての男役芸を見れてとっても嬉しかったんです。彼女の演技・顔立ちはどちらかというとトップスターに割り当てられる役よりも、二番手に割り振られる役の方が生きると思うんですよね。

だいもんって唇が薄いのでニヒルな男に見える瞬間が多いんです。

笑い方も目の使い方も使い方次第ではニヒルに見えやすい要素の一つかもしれません。

もちろん真ん中も似合うんですけど、私は二番手のだいもんも好きです。

賢いボリスの生き方

だいもんボリス、ぴったりでしたね〜。

あの人生を諦めてしまったかのような冷たい瞳と冷笑を浮かべる薄い唇。

私の大好きなだいもん像がキターーーーって感じでした笑

だいもんボリスが人生を諦め傍観者に徹すればするほど、轟ラヴィックのヒューマニストぶりが観ている者の目に色濃く映るのでしょうね。

ボリスの生き方が正しいのか、ラヴィックの生き方が正しいのか。

それは観た人によって異なる感想を抱くのでしょうが、舞台上で繰り広げられていた時代背景の中ではおそらくボリスの生き方が賢い選択だったんだろうなと私は思いました。

ボリスとラヴィック。

親友ではあるけれど、装おう性格が全く異なる二人。

どちらが「いのち」を守ること(生きること)に必死なのか。

それは二人の考える「いのち」の意味によっても解釈は違ってくるのですが、シンプルに”生き延びること”、生にしがみつくことに執着しているのは冷たく装おうとしているボリスかもしれません。

「くそったれ!」に込めた想い

このお芝居の中で唯一と言ってもいいほどボリスの本音が込められている台詞。

「くそったれ!」

この言葉を聞いた時、ボリスの本来の姿が冷たい鎧の間から見えました。

この作品の中で、本来は誰よりも優しくて人情に厚い人物はボリスなのかもしれませんね。

こんな時代だから自分の感情を表に出すことができない、そんな青年の心の叫びがそこには込められていました。

だいもん、一人で頑張ってる?

ここからはショー「Gato Bonito!」を含めた感想を。

だいもん 、頑張ってますね〜!!

もうギラギラ眩しすぎてこんな元気なトップさん久々に観ました笑

でもね〜なんかだいもん見てると「孤軍奮闘」って言葉を思い出しちゃうんです。

もちろん雪組生もだいもんのやる気に負けないよう食らいついてきているんでしょうけど、だいもんのやる気が組子と一致していない(だいもんが突っ走りすぎている)ように感じてしまうのです。

それとね、一人だけ毛色が違うんですよね。

纏う毛色が。

多分花組でやったら浮かないであろう、あのオーラをスマートな雪組でバンバン出しちゃうからかな〜?私にはどうもだいもんが浮いてしまっているように見えるんです。

言い方悪くすると雪組生がだいもんをピラミッドの中心においたショーに馴染みきれてない、ついて行けてない、だいもんが組子の心に寄り添えてないって感じです。

人によって感じ方はそれぞれだと思うので、絶対にこうだろ!ということをここで言いたいのではありません。

少なくとも私はそう感じましたって話です。

ということで。

今日は安静にしたいと思います〜^^

でわ!

takarazuka takarazuka

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