おはようございます。
む〜です。
昨日、たまきちのタカラジェンヌ人生について語っていたら「あの時」のことについて語りたくなってきたので、今日はあの時のことについて。
そう。
「あの時」というのは「月組上級生が大量に退団した時期」のこと。
あの時は「月組、大丈夫か・・?」と思った。
でも「あの時」があったからこそ言えることもあるのではないかと思い、今回はこの月組に対する思いを書きます。
突然訪れた、月組の最大の”危機”
2018年。
みなさんは何があったか覚えていますか??
wikipediaを見ると、2018年の世界の出来事が詳しく書いてあります。
- 台湾で大きな地震があって、多くの方が負傷されたこと。
- トランプ大統領が米朝首脳会談をシンガポールで行ったこと。
色んなことが書いてあるけど、私の中で最も記憶に残っている「あのこと」についてはどこにも書いていない。
そう。
私の記憶に最も残っているのは「月組の上級生が大量に退団した」事実です、
2018年は怒涛の退団イヤーだった
2017年12月25日は月組の集合日(カンパニー/バッディ)だった。
そして、そこで発表されたのは2018年5月6日に上級生が大量に退団するというショッキングな発表だった。
この時に退団発表された生徒は7名。
- 綾月 せり(87期)
- 宇月 颯(90期)
- 貴澄 隼人(92期)
- 早乙女 わかば(94期)
- 優 ひかる(95期)
- 早桃 さつき(95期)
- 蒼瀬 侑季(97期)←2017年12月25日付で退団
それまでの月組を支えてきた主な上級生が4名も辞めてしまうという事実にただただ驚いたし、
「一体何が月組で起きているんだ?」と不安になった。
さらに2018年11月18日付で憧花ゆりの組長の退団が退団することも発表され、当時の私はショックすぎてこんな記事を書いていた。
月組は何故上級生が大量に退団しているのか
続きを見る
以前、noteで書いた通り、あの時の大量退団は人数調整的にも必要だったのかもしれない。
でも当時のあの人事を表面的に見ていた一ファンとしては、ただ衝撃的だった。ということだろう。
そして結果的にこの上級生の大量退団が、現在にどう影響しているかというと、
結果として若手の急成長を促すことにつながり、月組は隅から隅まで芸達者な若手でひしめくようになった。
つまり、あの時の月Pの決断(もはや一種の賭け)は成功したのだ。
上級生の大量退団は「成長しなければいけない」環境を作った
私は当時こう思った。
若くして(恐らく本人が予期できなかったほど若くして)トップになった、たまきちに必要なのは彼女をグッと支えることが出来る中堅どころ、もしくは上級生しかいない
しかし、今はこう思う。
あの時の「逆境」が今の月組を作った
と。
今の月組は他組と比較してみても、下級生がよく育っている。
本来であれば成長過程であろう学年の生徒も、すでに上級生の風格が出ている。
これは「上級生の一斉退団」という過酷な環境に身を投じた月組だからこそ、成し遂げられた急成長だったのではないだろうか?
残された下級生一人一人が
「トップさん(珠城 りょう)を支えられるように頑張ろう」
「なんとかしていい舞台を作ろう」
と一心不乱に取り組んだからこそ今の月組があると私は本気で信じてる。
一見すると「美談」かもしれないけど、トップである珠城りょうさんはじめ、組子たちはかなり大変だったと思う。きっと私たちが見ることのできない裏側で美談として語れないほどの努力があったのだと思う。
他組よりも遥かに若いメンバーで他組に負けないような組を作り上げなければいけなかったのだから、その苦労と重圧は計り知れない。立場が人を作るとはいうけれど、そんな簡単に言われたらたまったものでは無かったはずだ。
2018年に訪れた「上級生の大量退団」という逆境は、幸か不幸か月組の若手たちに責任を与え、さらに急速な成長を促す起爆剤となったのだ。というのはだ今から言えることだ。
宝塚の人事は風邪に似ている
宝塚の人事は発表されたその時は色々話題になるけれど、どんなにその時騒ぎ立てられた人事でも一過性に過ぎず、過去の人事を誰かが振り返ることはあまりない。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではないけど、風邪のようなもんだなと最近思う。
「2018年 月組上級生大量退団」 について振り返って見て改めて気づくこともあったし「あの時の人事はそういうことだったのか」と考えられることもあった。
今回取り上げた月組の件のように、宝塚の人事は数年経ってから振り返ってみた方が色々面白いのかもしれない。
それではー。
参考
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