おはようございます。
むーです。
朝から朝美絢のブリドリを見て爽やかな土曜日を迎えられました。
皆様がいかがお過ごしでしょうか?
それでは、大変お待たせしておりました!
本日は愛希れいか様について語りたいと思います!
“普通”を演じることの難しさ
お芝居「カンパニー」では誰よりも
“普通”の人を演じていたチャピちゃん。
あまりのスターオーラの無さに、
満員電車でスリに遭うシーンでは「あの背の高い子は誰だ?」とオペラで見てしまったくらいだ。
今までトップ娘役として
マリーアントワネット や
トゥーランドット
ハーミア
グルーシンスカヤ
など王道でありながら一癖ある役が多かったチャピちゃん。
今回は他のキャラに比べて癖のない一般人を演じているのが逆に新鮮だったりする。
それにしても彼女の演技は至って“普通”だった。
舞台の特性上、どうしても身振り手振りを大袈裟にしないと観客にお芝居で伝えたいことが伝わらないことがある。
でも彼女は最低限の「日常で使われる」動作をさらっと行うだけで、舞台に雰囲気を作り出し、芝居を進めていく力を持っている。無駄に大きくお芝居をしないことで、この物語が”お芝居”であることを忘れさせてくれる。
こんなレベルの高い”普通”の演技を見せられた時、
「もう彼女にできない役は宝塚には存在しないのではないだろうか』
と感じてしまった。
グルーシンスカヤの時も思ったけど、
彼女演技力はもう宝塚という世界の範疇を超えてしまっている。
勿体無いと素直に思えた。
愛希れいか様に“しおらしさ”は求めない
今回のBADDYを見ていて改めて感じたこと。
それは
愛希れいか様に“しおらしさ”を求めてはいけない
ということ。
良くも悪くも、前トップの龍真咲さんと組んでいる時よりも現在の方が格段に個性を爆発させて、珠城りょうという包容力の塊の下で大輪の華を咲き誇っているように見える。
そして、これも時代の変化だろうか。
世間で「強い女性像」が求められている今、宝塚もその煽りを受けて
娘役=可憐という概念から
愛希れいかという稀有な娘役を筆頭に
娘役=力強く自立した女性
というイメージを観客に投げかけているように感じる。
しかもチャピはそういう女性が非常に似合ってしまうのだ。
今から可憐なチャピちゃんを想像してくれと言われても、私はもう想像することが難しい気さえする。
これがいいのか悪いのか。。
私にはわからない。
個人の意見を言わせて貰えば
私は“独立した女性”が好きであって
“強い女性”はそこまで好きじゃない笑
強い女性像はハリウッド映画や民放ドラマに任せておけばいい。
宝塚にはいつまでも可憐で夢夢しくあってほしい。
グッディと愛希れいかの共通点
グッディはめちゃくちゃ可愛い。
でもバッディの思想に犯されてもがき苦しみ、強くなっていくグッディも素敵。
今回のショー、
序盤のグッディ=娘役1年目のちゃぴ
終盤のグッディ=まさおを見送り、たまきちと組んだ後のちゃぴ
残酷だけどそんな風にみえた。
まさおの加護の下、一生懸命華やかで可愛い宝塚娘役を演じていたチャピの姿は、
103年間禁煙という伝統を守り抜いてきたグッディの姿と重なった。
そしてたまきちと組んでから、何故か強い娘役像を打ち出して来るその姿勢は
今まで頑なに“良い子”であることに努めてきたグッディが自分の感情と向き合い激しく歌い上げるシーンと重なってしまう。
深読みしすぎでしょうか?
ダンス・お芝居は素晴らしい
ダンス・お芝居の面ではトップ娘役という立場以上に力がある子だと思います。
華もあるし、どんな役でもこなせる素晴らしい子です。
だからこそ、退団公演は彼女の良さを活かせる作品が良かったんじゃないかな〜と今もまだ思っています。
『エリザベート』という公演は確かに娘役にとって憧れの公演だろうし、
チャピちゃんのすらりとした体型ならあの豪華なドレスも似合うことでしょう。
でもわざわざチャピちゃんの中で一番苦手(?)な歌に焦点が当たる公演を
やる必要があるのでしょうか、、
折角だったら踊りまくるチャピちゃんをみたかったな〜。。
明日は月城かなとくんについて書きます〜
明日は月城かなとくんについて書こうと思います!
お楽しみに〜^^
でわ!
にほんブログ村