おはようございます。
む〜です。
明日も花組の『ポーの一族』を観劇してきます。
とりあえず、第一回目の感想を記しておこうと思います。
美しすぎる舞台
『エドガーはいた。明日海りおである』by小池秀一郎
まさにこの通りであり、これ以上でもこれ以下でもない。
この名言は後世まで語り継がれてほしいと思うほど的確かつシンプルに
この舞台を表現した言葉である。
今回の舞台は明日海りおという素晴らしいタカラジェンヌがいたからこそ
舞台かできた作品なのだと改めて痛感した。
もし、明日海りおがこの世になかったらエドガーを演じられる人はどこにもいなかったかもしれない。そんな奇跡の巡り合わせを感じずにはいられない作品だった。
明日海りおだけじゃない。
今の花組生だからこそできる舞台。
今の小池修一郎だからこそ作ることの出来た舞台。
『今、この瞬間』がミルフィーユのように美しく重なり合い、出来た作品(ケーキ)。
舞台は常に白いカーテンで包まれているような密やかな雰囲気を纏っている。
その白いカーテンから妖艶さ・退廃的な美しさが透けて見える感じがなんともエロい。
そしてカーテンがめくれて中が見えた瞬間に、果てしない虚無感を感じる。
舞台でこれほどまでにポーの一族の持つ魅力を表現できることに感嘆してしまった。
正直もっと、、陳腐な感じになってしまうのではないかと思っていた。
(コミックものは下手すると陳腐になってしまうという私の経験則から)
しかし、そんなことを原作の大ファンである小池修一郎が担当する時点で心配してはいけなかったんだと反省した。
舞台化の限界
先ほどまでの称賛から一変。
今度は少しがっかりした点について書きます。
それはポーの一族が大衆作品化してしまったこと。
小池修一郎の得意とする演出が満載すぎて万人受けは間違い無いんだろうけど
作品の持つ怪しさだったり儚さだったり、底知れぬ悲壮感だったり。。
こうゆうものが全部ぽいっと放り投げられてしまったような感覚がするのだ。
例えるならば、そのままの味付けで美味しいオードブルにケチャップをメガ盛りしたイメージ笑
あと音楽がどうしても昭和の歌謡曲に聞こえる。。><
前公演の『ひかりふる路』ではワイルド・ホーン先生がつくる曲の全てが
決して作品の世界観を邪魔することなく、溶け込み調和する楽曲ばかりだったから
なおさら今回の作品では作品と楽曲の調和が取れていないのを感じる。
曲が始まると『THE・宝塚』すぎてポーの世界観から引っぺがされてしまう。
これが残念でならなかった。
コミックの舞台化はやはり難しい
今回感じたのはコミック作品の再現することは巨匠であっても難しいこと。
それは観劇対象が多けれ多いほど難しいのかも知れない。
そう考えれば、今回のポーの一族は及第点では無いでしょうか?
私は十分満足することができましたし!
さて。
全体感想はこれくらいにしておいて!
明日からは素晴らしい花組キャストについて語りたいと思います^^
どうぞお楽しみに!
よし!明日は観劇だし、今日は残業して仕事をしっかり終わらせてこよう!
では〜
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