おはようございます。
む〜です。
最近はなかなか劇場に赴くことができずにいます。
観たい演目は沢山あるけれど、在宅勤務だし子供小さいしワクチンの予約もまだ取れていないし、、感染に対する不安もあって劇場に行けず🥺
来週も銀ちゃんの恋をライブ配信で観劇しますが、最近はもっぱらライブ配信での観劇ばかりになってしまいました。
気持ちは今すぐにでも劇場に行きたいところなんですけどね、、涙
「生の舞台を楽しんでこその”観劇”」という話もわかりますが、コロナが明けても今後は新しい”観劇の在り方”が形成されていくのだと実感しています。
疑問だった「生の舞台を観劇しないとファンじゃない」文化
私は以前からずっと疑問に思っていたことがあります。
宝塚に限らず、「劇場で観劇」しないと「観劇」とはいえないのか?
このブログを通して何度かスカステで放送された公演の感想(直近だと「桜嵐記」など)や宝塚の人事予想を書いてきましたが、
その度に必ず
- 「劇場で観劇していないなら宝塚に関する感想は書かないで欲しい」
- 「実際に見てはいないから”観劇”とはいえませんよ」
- 「宝塚を見てない人が宝塚の人事予想をするべきではない」
といったお声を頂いてきました。
このご意見を頂くたびに、自分の中の「観劇」の定義とご意見くださった方との「観劇」の定義のズレを感じてきました。
観劇って劇場で舞台を見ないと使ってはいけない言葉なのかな?
ライブ配信やスカステ放送で舞台を観て、その舞台の感想を書いたり、人事について思いを馳せるのはいけないことなのかな?
極論ですが、劇場で観劇してない場合はもう”宝塚ファン”ではないのかな?
そんなモヤモヤを抱えています。
しかし、想像以上に長引くコロナの影響で劇場に赴く観劇スタイルが難しくなったいま。
「観劇は必ず劇場で!」派の人たちがどう考えていらっしゃるのかがとても気になります。
客席と舞台に流れる空気も含めて「観劇」
「観劇は必ず劇場で!」という方々の気持ちもわかります。
舞台は生モノ。
舞台上で繰り広げられる物語はもちろん、客席と舞台に流れる空気も含めて「観劇」だから。
その考えはとっても理解できます。
現に、公演を見にいけなかった作品をDVDや放送で見ても臨場感の欠如は否めないし、
周りの空気や雰囲気がない分、劇場で見るよりも冷静に作品を見てしまうので観劇後の余韻も実際に舞台を見るよりも味気ない。
だから「観劇は生(実際に観に行くこと)が大事」という考え方はとってもわかりますし、共感できています。
しかし、この状況が長引けば長引くほどその観劇文化も終焉へと向かうかもしれません。
意外に快適なライブ配信観劇
劇場でしか味わえない雰囲気はありますが、意外にライブ配信も快適なんですよね。
1番快適だと感じるのは
- 他のお客さんの行動が気にならないこと!!
- 観劇中のお喋り、咳払い
- ビニール袋ガサガサ
- 携帯電話の着信音
劇場で気になっていた細かいことが気にならないのは幸せです。
あとは
- 行き帰りのロス時間がない
なども大きいですね。
ライブ配信のメリットはいつかの記事でまとめてるので、そちらをご覧いただければと思います!
宝塚歌劇のライブ配信に対する素直な感想
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続きを見る宝塚歌劇のライブ配信感想〜メリット・デメリット、そして注意事項〜
「劇場で観劇しないと観劇とは言えない」文化の終焉
「劇場で観劇しないと観劇とは言えない」
コロナ流行前はそんな風潮がありました。
少なくとも私はその風潮を感じていました。
実際に観劇していないならそれは観劇とは言えない。言ってはいけない。
宝塚歌劇の舞台を実際に観たことないならファンとは言えない。
誰も口にはしないけど、どこかでこんな風潮もあったかと思います。
しかし、宝塚歌劇団がライブ配信という形を始めるということはその文化も少しづつ形を変えていくのはないでしょうか?
実際に観劇していないなくても、映像で観劇したなら「観劇した」と言える。
宝塚歌劇の舞台を実際に観たことなくてもファンと言える
そんな時代が目の前までやってきているのだと感じています。
どんな文化になっても、宝塚歌劇を好きな人が思いっきり宝塚を愛せますように!!
それではまた明日。
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