おはようございます。
む〜です。
今日はワンスの続きを書きます。
朝美絢くんのキャロルについて書いてからだいぶ間が空いてしまいましたが、マックスについて書くにはこれくらいの時間が必要だったのです。
私が今回の観劇で最も疑問だったのは
結局のところ、マックスって何者だったのか?
ってことでこの疑問に答えを出すのにこれだけの時間がかかっちゃいました笑
マックスの観劇感想を待ってくださっていた方がいらっしゃったら感想書くのが遅くなっちゃって申し訳ありませんでした!!
今日もゆるゆる書きますが、楽しんでいただけたら嬉しいです^^
前回までのワンス〜感想はこちら
いつも通り、ワンスの感想リンクを置いておきますね。
今日の記事で「面白いな〜」と思っていただけたら他の感想も覗いて見てください〜。
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近いけど遠い親友〜マックスとヌードルス〜
ヌードルスはマックスを親友と呼び、マックスはヌードルスを親友と呼ぶ。
しかし彼らを見ていると、心の距離は親友とは呼べない気がしてしまいました。
確かに彼らは同じ同郷の仲で、今までタッグを組んで悪事を色々やって来ました。
二人ともデボラに恋していて趣味嗜好も似通っていたのかもしれません。
でも彼らが劇中で「親友」という言葉を使うたびにその関係の薄っぺらさ、ハリボテ具合を再確認してしまいました。
彼らの視線はいつも平行線。
決して交わることのないお互いの気持ちを”親友”という言葉で繋ぎ合わせ確かめ合っているように私には見えました。
それもそのはずで、そもそもヌードルスとマックスでは最終的な目標が異なります。
ヌードルスは悪事の果てに”平凡で幸せなくらし”を目標としていましたが、
マックスは際限のない”お金を稼ぐこと”を目標として生きているように私の目には写りました。
一番近くにいる親友のはずなのに、お互いの真の目標も分かり合えない。
ヌードルスもマックスも最後まで孤独な人だったなと観劇後に思いました。
物語におけるマックスの役割
この物語におけるマックスの役割って一体何だったのだろう?
マックスの正体は何だったのだろう?というのが私の今回の疑問であり、このブログのテーマでした。
あれこれ考えた結果、やはり観劇直後に感じた
時代が産み出した副産物
という表現がマックスを表すのに一番お似合いな気がしました。
印象的だった場面はヌードルスと初めて出会った「銀時計のスリに失敗した」場面。
どこからともなくふら〜と現れた咲ちゃんマックスは最初はボケっとした表情でバグジーとヌードルス、そして警官のやりとりを眺めています。
その後彼の中で「ヌードルスたちの仲間に入りたい」という動機が芽生え、そのために彼は警官に対してぺらぺらと嘘をつきます。
あの場面こそが全編通して最もマックス本来の姿を表していると私は思いましたし、あの場面のマックスを見て少しだけゾクッとしたのを今でも覚えています。
生きるためには何でもやる。
そんな彼の本心がチラッと垣間見えた瞬間でした。
彼ほどの知性と勇気があれば、現代においても悪事以外の何かで名を挙げることができたと思います。
しかし、彼はあの時代においてあのように生きるしか方法がなかった。
彼はまさに社会の縮図。
咲ちゃんマックスに与えられた役割はこの時代にごまんといた社会の副産物たちを体現することだったと思います。
ヌードルスに「殺してくれ」と懇願した真意
映画とは異なる描き方をされているマックスのラストですが、彼の真意は一体なんだったのでしょうか?
映画版との違いを軽く書いておくとこんな感じ。
映画版:銃で殺してくれとヌードルスに懇願 → ゴミ収集車に自ら飛び込む→生死不明
宝塚版:銃で殺してくれとヌードルスに懇願 → 自ら銃で頭を撃ち抜き自殺→死亡確定
映画版ではマックスがゴミ収集車に飛び込むところをヌードルスも目撃していますが、彼の生死は視聴者に委ねられた形となりました。
一方宝塚版ではマックスがヌードルスに拒まれ自ら自殺を選び、その銃声をヌードルスも扉越しに聞く形となっていました。
これが小池先生の映画の感想なのだと素直に受け取ると共に、私にとっては疑問がまた一つ残る形となりました。
ズバリ、「なぜ最初から自分で自殺しなかったのか?」。
宝塚版の方だとマックスがすごくわがままに見えてしまいました。(きっと小池先生の目にはそう映ったのでしょうね)
自殺できないから殺して〜!と言っておきながら、いざ殺されなかったら自分でヤるもん!みたいな笑
映画版の方だとそれがうま〜くオブラートに包まれていたような気がします。
単純に「A.自分で死ぬことができなかったから」では説明がつかないようなラストに釈然としません。
個人的には「誰かに人生の幕引きを委ねたかったから」と答えたいところですが、それだと宝塚版ラストとの矛盾が生じるわけで・・。
誰かこの答えを教えてください!!
舞台人・彩風咲奈について(次期トップ候補に疑いの余地なし)
いざ書いてみると「マックス」という役についての考察が大部分を占めてしまい申し訳ない。
ここからは彩風咲奈君、個人についての感想です。
お察しいただけると思いますが、これだけ私がマックスという人物に興味を持てたのは咲ちゃんのおかげ。
咲ちゃんの演技・歌・ダンスのレベルが一定以上であって技術面で気になる部分がなかったからこそ、ここまで物語に没入できたし、色々と考えることができました。
これは以前も書きましたが、雪組さんは生徒一人一人のレベルが高いので感想も”技術云々”の前に”物語の感想”をしっかり書ける(というかそう思わせてくれる)のが本当にありがたい。
いくら舞台内容がよくても演者の技術が気になってしまうとどうしてもそちらに気を取られてしまいますので・・。
その点で言えば私にとって咲ちゃんの演技・ダンス・歌は問題ないようです。
以前は疑問視していた歌もここ数年でめちゃくちゃ良くなっているし問題なく聴ける状態です。
ビジュアルに関しては好き嫌い別れそうだけど、役によるかな〜?
個人的にはTHE・正統派男役よりも今回のような暗い部分をもった男役の方が似合うと思っています。
舞台姿も最高に映えますし、雪組内で次期トップ候補を探せと言われたら今は彩風咲奈くん一択ではないでしょうか?
さっきも言ったように作品によるとは思いますが、今後も彼女の舞台を定期的に見たいと今回初めて思いました。
それくらい素敵なマックスだったなぁ。。
いい舞台を見せてくれてありがとう!
次回は縣千くん
次回はこのブログで初登場となる縣千くんについて書いていきます。
諏訪さきくんのバグジーについて書きたくてウズズしてるけど、まずは気になっていた縣くんについて書いちゃう!
それではまた明日〜!
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