おはようございます。
む〜です。
今日はこれから出島星宇宙戦争を観劇しに行ってきます。
ちなつさんや海ちゃん、蘭世ちゃん、おだちんなど気になる生徒さんばかりが出演するこの公演を観劇することが嬉しい反面、情報過多で観劇後泡吹きそうな自分が容易に想像できる笑
出島〜のレポは明日から雪組公演と交互にしていきますのでお楽しみに^^
そして今日は!!!
幼少期から壮年期までのヌードルスを演じてくれた望海風斗さんについて書いていきます。
望海風斗の集大成、ここにあり。
退団発表を聞いてからの観劇だったのでかなり色眼鏡入ってることは承知の上ですが、こう言わざるえません。
望海風斗の集大成はここにある。と。
彼女と出会って6年。
いろんな役を演じる彼女をここまで見てきたけど、今までの役はヌードルスを演じるために廻りあわされてきたのではないかと思ってしまうほどの完成度の高さだった。
幼少期の幼さ・怖いもの知らずな言動。
人を初めて殺めてしまったときの瞳の震え方。
ムショ生活後も逮捕前と何も変わっていない友への愛。
デボラへの愛の形。
額から溢れ出る壮年期の哀愁。
どれ一つとってもそこに望海風斗はいなかった。
彼女は一瞬一瞬をローワー・イーストサイド出身のユダヤ人・ヌードルスとして生きている。
それこそがこの舞台の真実であり、彼女が男役として出した結論なのだと私は感じました。
そして同時に私はとても寂しくなりました。
「彼女に演じられない男役はもう宝塚にはない。」
こう気づいてしまったが最後。
私の中でだいもん退団までの秒針が確実に、音を鳴らして1秒ずつ刻み始めました。
ヌードルスの唯一の真実
私はこの舞台を見ていてずっと考えていました。
ヌードルスにとって、この世界で唯一信じられた真実は「デボラへの気持ち」。
ただそれだけだったのかもしれない。
そう私は考えました。
ギャングの闘争・殺人・友人の死。
一寸先は闇ばりに変容し続ける社会。
そんな中で彼が最後まで唯一の希望の光として大切にし続けたものが「デボラへの愛」だったのだと私は思いました。
これは映画とは少しテイストが違う部分ではありましたが、この部分に関しては宝塚版の方が断然好み(さすが宝塚〜)
ヌードルスの人生は歳を取るにつれて失っていくものが増えていき、最後に残ったのはデボラへの愛と自分の体だけでした。
若い頃はデボラに対して自分の愛を押しつけていた彼ですが、壮年期に入ると彼女に「愛している」と伝えることさえ辞め、永遠の時の中に閉じ込めた愛の花びらをそっと灯火のように掲げて歩いているように見えました。
もしかしたら小池先生は”人生の最期に残るものは何か?”を私たちに問いかけているのかもしれません。
繭の中で夢を見る
ラストシーンでだいもんが銀鏡に入り歌う「once upon a time in america」。
これはヌードルス自身の歌でもあり、マックスの歌でもあり、デボラの歌でもあり、あの時代を生き抜こうとした人々の歌であった。
陳腐な表現だけれど、だいもんの声は今まさに完熟期を迎えているとこの歌を聞いて感じました。
自分の気持ちを歌い、歌にのせていながら全ての人の声も彼女の声が代弁している。
過去にこんな声を持った男役がいただろうかと私も思わず自分の過去、誰かの過去に思いを馳せてしまいました。
いつもなら力強く聴く者の鼓膜を震えさせるだいもんの声は、この曲ではその力強さは薄れ、聴く者の耳を優しく包み込み過去へ誘う。
彼女の声は言葉なくこう語りかける。
過ぎた日々の
全てを抱きしめ
過去に蘇る
と・・。
そしてヌードルスは愛する者たちと楽しく生きていた過去という繭の中で夢を見る。
それが彼が最期に選んだ決断だった。
明日は出島のレポいくよ〜
朝からまた長くなってしまったけど、とりあえずだいもんヌードルスに対して言いたいことは80%くらい書き切れたのでここで一度一休み。
明日は出島小宇宙戦争の全体感想いくよ〜!
んじゃ!行ってきます〜^^
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