おはようございます。
むーです。
昨日は月組公演の千秋楽でしたね。
月組の皆さん、本当にお疲れ様でした。
『1人も欠けず』とは言えないけれど、休演者を出しながらも千秋楽までなんとか走り続けられてホッとしました。
今回の作品は残念ながら面白いとはお世辞にも言えない、いわゆる駄作ってものだったかもしれない。そんな作品にも月組さんは真摯に取り組んで、毎日お客様に楽しんでもらおうと頑張っている姿に私は胸打たれてしまいました。(脚本家の先生はいろいろ反省してほしい・・)
駄作だろうが超大作だろうが頑張るのは出演者として当然のことなんだろうけど、空席の目立つ客席は演者にとって寂しさ以外の何者でもないはず。
今回の公演で学んだことはたくさんあるだろうからその経験を活かして、次回の超大作(として劇団は扱ってるけど本当のところはまだわからん、、)に挑んで欲しいですね。
そして美弥ちゃん。
昨日で宝塚歌劇団をご卒業されましたね。
ご卒業おめでとうございます。
今日はOGになってしまった美弥るりかさんについて、退団から一夜明けて思う事をおはなししようと思います。
美弥るりかのいない宝塚はネバーランド
美弥るりかのいない宝塚、それは私にとってネバーランドか何かのような存在。
あるんだろうけど、何処か夢物語っぽくてその存在を目で見るまでは信じられない、すごく遠くて現実離れした世界に思えるのです。
千秋楽を見てちゃんとお見送り出来ていたらもっと違う印象を抱いたかもしれない。もっと心の準備をちゃんとしていたらこんな気持ちにならなかったかもしれない。
でも今は美弥ちゃんのいない宝塚歌劇団の存在がただただ漠然と信じられない。まだまだ美弥ちゃんから溢れ出ていた色気が、心のこもったお芝居の数々が舞台上の床に染みつき、蠢いているようで、、。
美弥るりかのいない。
美弥るりかが卒業した宝塚歌劇団。
でも何故だろう?
今まで以上に彼女の存在を強く感じる。
個は無に帰し、理となる
美弥るりかというタカラジェンヌ(個体)はたしかに終わりを迎えてしまった。
しかし、ただ『終わってしまった(卒業してしまった)』のではなく美弥るりかという個が終わってしまっただけであって、彼女がここまで培ってきた経験、色香、技術は月組の、ひいてはタカラジェンヌの理の1つとなって生徒たちの中で受け継がれていくであろうことを今この瞬間に強く感じる。
美弥ちゃんは2番手として宝塚人生に幕を下ろすけれど、そんなのはこの件に関して言えば一切関係ない。この話は立場とか順位とかそういう些末な問題はまったく意味をなさない。大事なのは何をしてきたか、そしてそれを見た観客、周囲の人が彼女から何を受け取り繋げていこうとするかだから。
美弥るりかの残した様々な残り香は、はじめのうちは『美弥さんの教え』として後輩たちの間で受け継がれ、いつのまにか『タカラジェンヌの伝統』として宝塚の歴史を紡ぐ重要な1つの糸となっていくのでしょう。
こんな風にわたしが感じるきっかけとなった公演が実は『アンナ・カレーニナ』と『夢現無双』だったりします。
アンナ・カレーニナの時の美弥ちゃんは眩いばかりに個に満ち満ちて、自分の存在を、自分の築き上げてきた全てを世界に向かって叫んでいるように見えました。
対して夢現無双では自らの個性を打ち消し、周りに溶け込み静かに見守る、というか一歩引いて天から見守っているようなお姿がとても印象に残りました。
この2つの作品での立ち振る舞い、表情からこんな事を思ったのかもしれませんね。
美弥るりかの愛、『宝塚よ、永遠なれ』
美弥ちゃん、今この時間帯は何をしているのかな?
終わってしまった自分の宝塚人生を静かに振り返っているのかな。
それとも、これからの人生について不安を抱きつつもワクワクしているのだろうか。
いずれにせよ、美弥ちゃんは心の中で絶対この言葉を胸に抱いているとわたしは思う。
『宝塚よ、永遠なれ』
彼女の全てを捧げた場所。
彼女が人生を賭けて恋した場所、宝塚。
たぶん彼女は今でも宝塚に恋い焦がれている。
きっと彼女はあの大きな瞳を宝塚への愛でいっぱいにしながら、色んな想いを抱いて少し遅めの朝を迎える。そして自分が昨日まで着ていた緑色の袴や退団のお花を見つめるのでしょう。
そこから彼女の第二の人生が始まる。
美弥ちゃんのこれからの人生に、幸せがたくさん溢れていますように!!!!
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