日々の戯言

宝塚歌劇における「嫌なら見るな」はもったいない。



おはようございます。

む〜です。

このブログのコメント欄を閉鎖してから早くも半年以上経ちました。

ブログのコメント欄を閉鎖した理由は以前書きましたが、(コメント欄閉鎖の理由についてはこちら)要約して話すとある記事に対して「嫌なら見るな」というコメントが殺到したからです。

「〇〇さん(タカラジェンヌのお名前)が嫌いなら、2度と彼女の舞台を見ないでください」

「〇〇さんの魅力がわからないなら貴方に舞台を見て欲しくないです」

「〇〇さんだって貴方なんかに舞台を見て欲しくないと思います。」

こんなコメントを多数いただいて、「私が傷ついた」というよりは「とっても残念な気持ち」になったんですよね。

今日は宝塚において「嫌なら見るな」がいかに勿体無いかを語らせてください。

「見てもらってなんぼ」宝塚の世界

宝塚歌劇団はショービジネスです。

多くの人に見てもらってなんぼ。客が入ってなんぼの世界です。

そんな中でファンが率先して「嫌なら見るな」と言い切ってしまうのはどうかと私は思います。

だって「嫌なら見るな」って自分のご贔屓を見てもらう機会を逃しているだけなんですよ?

それってショービジネス的には全く美味しくない話です。

主催者側が「この舞台に不満があるなら見るな!」というのであれば、それまでなんだなと思っちゃいますけど、わざわざファンがご贔屓様の商売を邪魔しちゃうのはあまりにも勿体無いし残念だと思います。

一番怖いのは「興味を持たれなくなること」

宝塚において一番怖いこと、それは「興味を持たれなくなること」だと私は考えています。

私はどんな形でもいいから多くの方にご贔屓に興味を持って欲しいといつも願っています。

もちろん興味の形が”称賛”であればこれ以上嬉しいことはないけれど、”批判”だって宝塚においてはうれしい悲鳴になります。

皆さんもご存知の通り、ショービズの世界において興味を持たれなくなること=終わりを意味しています。

そう考えると「嫌なら見るな」は一見ご贔屓を愛しているゆえの発言に見えるけど、その発言によってご贔屓に興味を持たれなくなる→芸能人生の終わりを早めていることに早急に気づいた方がいいです。

嫌なことを言われていい気分になる人はいない

とは言っても。

気になること(この場合は欠点・短所など)・嫌になることを言われていい気分になる人は殆どいません。私自身も含め、そんなにできてる人に私は会ったことないです笑

特に自分が心酔しているご贔屓様となれば尚更ですよね。

でも、だからと言って「批判するな」とか「嫌なら見るな」「興味を持つな」と言ってしまうのは勿体無いです。

自分がそのご贔屓様の良さをわかっているならそれでいいじゃないですか。

自分と異なる意見も絶対あるけどそれは受け入れるかスルーするだけでいい話。

と私は思いますけどね!

https://www.zuccazuccamu.com/takarazuka-first/2018-08-31-080053

当ブログは「嫌なら見るな」とは言いません。

ちなみに!

このブログに関しては「嫌なら見るな」とは言いません^^

1%でも私と同じように感じている人がいればその人とこの気持ちを共有したい、伝えたいという気持ちもあって3年間このブログを続けてきました。

私の意見をここで書いているだけとはいえ、ここはネット社会。

このブログは誰にでもオープンにしているため、「見る」という選択をすれば誰でも見ることができるものになっています。

もちろん「見ない」という選択肢もありますが、同時に「気になって(嫌だから)見てしまう」ことも容易に想定できます。だから「嫌なら見るな」なんてことは私には言えませんし拒否権だってありません。

個人が公の場所(ネット)に自分の意見を書き込めるこの時代において、私が私の意見を発信する以上それに対する批判が出ることもわかっています。

なので意見に対する批判でもなんでもお好きなようにしてくれて構いません^^

言論・思想の弾圧は勘弁して欲しいですけど!笑

でわ〜。

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