おはようございます。
む〜です。
先日仕事の合間にヅカ友とランチした時に、年始早々イタすぎる話を友達から聞きました。
なんでも
「ヒルナンデスに出てたゆかりの小雪さんが相当イタイキャラだった」とか。
うんうん。
そうだよね〜失笑
30年間宝塚を愛し続けている友人は「もう信じられん!怒」という風に喋っていたのですが、別にゆかりのさんがぶっ飛んでイタイのは今に始まったことではないので私はそこまで驚きませんでした。
初登場?したさんま御殿をリアルタイムで観た時も「本当はこんな子だったんだー」という悲しい気持ちを通り越して「ただのイタイ芸能人」という見方しか出来なくなっていたので笑
友人ほどの衝撃はありませんでしたが、それでも以前として彼女に良い印象をは抱くことはありませんでした。
未だにそのキャラ(金持ちおバカキャラ)で行くのねとか。
もういい加減「元タカラジェンヌ」の看板に縋るの辞めなよとか笑
特に後者については数名の元タカラジェンヌについて強く思うのでこれについて今日は毒を吐きます。
卒業後の人生は、本人のもの
この記事を見て嫌悪感を抱く方もいると思います。
「卒業後の人生は本人のものなんだから好きにさせてあげれば良いじゃないか」
「そもそも一ファンが口出しすることじゃない。嫌ならOGを追わなきゃいいんだから」
どちらもごもっともな意見です。
卒業後の人生はご本人のものですし、口出しするなんて度が過ぎてることも重々承知です。
何をするのもご本人たちの自由であり、気になるなら追う、嫌いになったら追わない。これが正しいのでしょう。
でもね、「元タカラジェンヌ」の看板を提げるのであればそれなりの、、、元タカラジェンヌの名前にふさわしい行動をとってほしいと思うのは悪いことなのでしょうか?身勝手すぎる願いなのでしょうか?
別に「夢を壊すんじゃねぇ!もっとタカラジェンヌ然とした振る舞いをしろ」と言ってるわけではないのです。
ある程度しっかりとした組織を卒業した人間として、自分から馬鹿であること、金持ちであることをひけらかすような道化になってほしくないだけなのです。
宝塚を知らない人からはこう見えてる
私は以前、宝塚のことを全く知らない友人にこんなことを言われました。
「宝塚って清く正しく美しいお金持ちのお嬢様ばかりが在籍してるイメージがあったんだけど、意外にそうでもないんだね。
TVに出てる元タカラジェンヌをよく見るけど割とアホで品がないもんなんだなぁってびっくりした笑
割と普通というか、、あんまり私達と変わらないんだね。
宝塚に対するイメージが色々変わった。」
と。
彼女は決して悪意を込めて私にこの話をしたわけではありません。素直に感じたこと、そして元タカラジェンヌをある意味(多分おつむの弱さとか品のなさとか笑)身近に感じたという感想を話してくれました。
実はこうゆう話を最近特によく聞くようになったのです。。悲しいことですね。
ある人はTVで見かけて。
ある人はブログやインスタを見て。。
ヅカヲタの私としては「また品も節操もない"元タカラジェンヌ"が出現したのか」とがっかりしてしまったのですが、同時に「もしかしてゆかりの小雪さんのようにアホさ、品のなさを売りにしてる元タカラジェンヌは少しでも自分を身近に感じてもらいたいがためにあのようなキャラづくりをしているのかな、、、?(もしそうだとしたらお金持ちキャラは不要だよね笑)」と新しい解釈にも出逢えました。
「元タカラジェンヌ」の称号は捨てて
以前別の記事でも取り上げましたが、
もし、自分のやりたいこと、なすことが自分の母校やファンに不快な想いをさせる可能性があるのであれば、「元タカラジェンヌ」の称号は捨てて好きなようにやった方がいいのではないでしょうか?
そうすれば元ファンも、その他のヅカヲタも不快な思いをせずに済みます。
この称号さえ捨てれば、本当の意味で真の自分を評価してもらえます。
何故私のような宝塚ファンが不快な想いをするか。わかりますか?
自分の好きなことをやって、芸名ではない本当の自分を見てほしいと活動する傍らで、時々芸名の自分を愛してくれたファンの暖かさを欲して元タカラジェンヌとしての自分を見てほしいと活動するからです。
本当の自分を見てほしいと願い、出身校の顔に泥を塗るような行為をしながらも、やっぱりタカラジェンヌのとしての自分にしか価値を見出せなくなって泥を塗りまくった元タカラジェンヌの称号を掲げてみる。
その都合の良さに辟易しているのです。私は。
元タカラジェンヌの看板は、その看板を背負う覚悟を持った方にこそ背負ってほしいです。
皆様はどうお考えなのでしょうか?
でわ〜。
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