おはようございます。
むーです。
雪組シティーハンターについて連日感想が投稿される中、気になる記事がありました。
それがこちら↓
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今日はこちらの記事を読んで感じたことを色々書いてみます。
『シティーハンターは宝塚歌劇と合わなかった』
この産経ニュースの『鑑賞眼』は毎週木曜日に更新される公演評で、今回注目が集まっているの2021/10/21にアップされた
【鑑賞眼】宝塚歌劇団雪組 「CITY HUNTER」攻めたミュージカルで新トップお披露目
の公演評。
この記事で賛否両論を読んでいる文章を一部引用させていただきますね
常に挑戦を続ける歌劇団の姿勢は素晴らしいし、出演者も巧みに作品世界を再現していたが、そもそも宝塚に合う作品とは思えなかった。
〜中略〜
原作の「モッコリ」を「ハッスル」に言い換えるなど、「清く正しく美しく」の宝塚向けに手直しは加えているが、それでも宝塚で上演するには、酷な物語なのだ。主人公の獠は、女性とみるやお尻を触る昭和的セクハラ男。それは原作に忠実なのだが、今や海外にまで宝塚ファンが広がっている中、〝お触り〟が必要な表現とは思えない。
このライターさんのご意見を中心に『宝塚でのセクハラ描写、性の取扱い方』について多くの意見が交わされていて私自身も今回色々考えさせられました。
私の考えは昨日Twitterに投稿したとおり↓です。
雪組『シティーハンター』のセクハラ描写にいろんなご意見があるようだけど、シティーハンターという作品の時代背景や当時の価値観を今の価値観と擦り合わせようとすると違和感や批判が生まれるのは当たり前だと思う。それだけ私たちの価値観が日々アップデートされてるから。
— む〜 (@zucca_zucca_mu_) October 25, 2021
この観点で考えると『シティーハンター』は時代劇でもあるよね。
その時代の価値観や雰囲気を楽しむフィクションとして捉えているから私はあんまり不快にはならなかったかなぁ。ただ宝塚の演出で『え?』と思うようなものがないわけではないので価値観のアップデートは絶対必要だと思う。
— む〜 (@zucca_zucca_mu_) October 25, 2021
本日の記事ではこの投稿の補足をしていきたいと思います。
“原作を忠実に再現すること”と”宝塚歌劇団の作品選び”の問題は別問題
雪組『シティーハンター』の問題点は2つに分けられると思います。
- 原作ありきの作品を舞台化する際の原作に対する忠実度(時代にあった価値観を盛り込むべきなのか、原作の時代背景、価値観に忠実であるべきなのか)
- 現代の価値観とマッチしない作品を宝塚で上演するべきなのか。
この2つです。
まずこの2つの問題を混同して考えてはいけない。なぜなら全く別の問題だからです。
ここからはこの2つの問題を別の問題としてお話しさせてください。
セクハラ描写も原作に忠実に再現するべきなのか?問題
私は『原作を再現する上でセクハラ描写が必要ならある程度忠実に再現するべき』だと考えています。
例えば今回話題になっている『シティーハンター』。
原作を読んだり、アニメ版を見たりしたことがある人はお分かりだと思うけどシティーハンターからエロやセクハラを抜いた作品はもうシティーハンターではないのです。
これはもうしょうがない。
だってシティーハンターという作品は『女にだらしない冴羽獠がやるときはやる!』そういう作品だから。
私はシティーハンターという作品をそう解釈しています。
実際に原作者である北条司先生もシティーハンター上演の際に
とにかく、楽しんでいただけたら嬉しいです。“品”に関しては「シティーハンター」の責任ですので、宝塚ファンの皆様どうか怒らないで下さい(笑)!
引用元:宝塚歌劇団公式HP
なんてコメントを寄せていらっしゃいます。
シティーハンターという作品は当時の時代背景や価値観を活かした作品になっており、ある意味そこが原作ファンにとっての見どころでもあったはず。
なので忠実に舞台上で冴羽獠を再現しようとすればするほど現代の価値観とはずれていくし、宝塚らしい『清く正しく美しく』を守ることは難しくなっていくのは当然と言えば当然なのです。
全くセクハラ描写やエロのない清く正しく美しいシティーハンターはシティーハンターではない。ともいえます。
なのでこの問題に関して言えば、
原作の世界観を失わない程度に宝塚で再現しようとした齋藤先生の原作愛は評価されても良い(原作はもっと際どい、、)と思いますし、『シティーハンター』は一種の時代劇(当時の価値観、時代を楽しむフィクション)と捉えるべきだと私は思います。
現代の価値観とマッチしない作品を宝塚で上演するべきなのか?問題
もう一つの問題は
現代の価値観とマッチしない作品を宝塚で上演するべきなのか
という問題。
これはね、シティーハンター上演決定時から思っていたけど作品自体が宝塚歌劇とは相性が良くなかったと思うのです。
原作、アニメを観たことがあったから宝塚で上演されると聞いた時は『モッコリどうするの?』『セクハラ場面どうするの?』と本気で心配しましたもん笑
80〜90年代は笑って終わらされていたかもしれないセクハラは、今では(昔もだけど、、)立派な犯罪行為ですし笑って終わらせられるような行為ではありません。
こんな時代遅れの価値観も忠実に宝塚で舞台化したら、物語をフィクションと割り切れない方々からセクハラ問題や女性軽視問題で批判されるのは目に見えていました。
シティーハンターという作品を知らずに『宝塚歌劇団の舞台を見に行く』気持ちで観劇したら尚更ショックを受ける作品だったでしょう。
ぶっちゃけ、現代に冴羽獠というキャラクターが存在したとしても、世代によっては当時ほど受けないだろうし、平成生まれのわたしから見ると冴羽獠は『昭和男子の憧れの塊』であって、令和の理想の男性像ではない。
つまり現代の感覚からはやはりずれてはいるんですよね。シティーハンターの世界観は。
もし、雪組『シティーハンター』のセクハラ描写がきついというのであれば、それは『シティーハンター』という作品を宝塚歌劇団で上演しようと決めた運営陣の問題でしょう。
原作ファンがたくさんいる、女性軽視が含まれた作品を世界で唯一女性だけで構成された劇団で上演することの意味をもう少し深く考えてみてもよかったかもしれません。
シティーハンターに限らず、宝塚はショーでも時々『え?』とおもう描写があるのは確かだし、性に対する価値観のアップデートはやはり必要だと思う。だんだんと合わなくなってきているんですよね、、。
宝塚の経営陣、制作陣は男性が多いイメージはありますが、男女関係なく『現代の価値観を意識した作品選び、作品作り』を意識していくことは今後も演劇を作り続ける上で必要でしょう。
宝塚歌劇の古い価値観のアップデートを望む
ここ最近の宝塚歌劇、攻めてるなぁと感じる部分もあるけれど時々『え、その価値観はアップデートしないんだ?』と感じる時もある。
例えばBADDY。
こちらもとある方のツイートで話題になっていましたが、
スイートハートとバッディのパートナー関係に悲鳴をあげるグッディ(典型的なステレオタイプ)が滑稽に描かれているあたりにジェンダーレスな関係を肯定する現代の流れを感じましたし、今までの宝塚に足りなかった価値観のアップデートがされたと感じました。
その一方で個人的に疑問を感じるのは
- 黒塗り(他人種を表現する際のメイク)
- 男役の女装(ウケを狙ってるようにみえて個人的には好きじゃない)
- 男子の入団禁止(宝塚歌劇の根本に関わる問題だけど、取り組むべき)
ですね。
海外からも注目されている劇団として少しずつ価値観をアップデートして欲しいです。
これについてはまた別の日に語ろうかな?
では〜。
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