おはようございます。
むーです。
2番手の意味合いが変わって、
映像を多用する舞台に変わってきて、
トップコンビのあり方も変わってきて、
はたまた宝塚に求められるものも少しづつ変わってきて。
いろんなものが私が見ている10年の間に変わって行きました。
そんな宝塚を見ていて色々と思うことがあったので今日は自分の気持ちを整理するためにブログをかきます。
変化について行けない私
宝塚は100年以上の歴史を持つ歌劇団。
この100年という数字は宝塚が常にチャレンジしてきたからこそ残せた数字だということはよくわかります。
もし宝塚が変わることを恐れて何にも挑戦して来なかったら何年も前に滅んでいたと思います。
でもね、ここ最近の宝塚の新しい挑戦に自分が着いて行けてないなと感じることも増えてきました。
例えばこの前からこのブログで書いている
- 2番手の意味合いの変化
- トップコンビの在り方
- 舞台の作り方
- 作品の作り方
は頭ではわかっていても気持ちが追いついてないです。
なるべく冷静に宝塚歌劇団の変化をブログに書いてきたけど、その裏で自分の気持ちは書いていること裏腹についていけなかった。
本音
以下、私の本音です。
2番手ってトップになる前準備として就任するんじゃないの?2番手で退団するのが当たり前になっていいの?
トップコンビって夢を見せるお仕事じゃないの?例えお二人の間に何かあったとしてもビジネスパートナーとして関係よくみせる技術は必要じゃない?
舞台上の映像技術はすごいけど、以前のような手作り感のある舞台セットの方が味があったし想像力を刺激されてそれもまた観劇の楽しみだった。
韓国アイドルの曲を使ったダンスシーン、宝塚に盛り込む必要とは、、?
こんな疑問や否定的な気持ちが理性とは別の部分で浮かんでは消え消えては浮かんでを繰り返して。
だんだんと宝塚歌劇団の変化から置いてけぼりになっていくのを感じ始めました。
私もはじめは息が切れるほど走って、少しでもその変化に追いつこうとしてた。
でもいつからかやめてしまっていたようだ。
『変わっちゃうのはしょうがない』
とどこかで諦め始めたから。
『しょうがない』の積み重ねと宝塚らしさの喪失
『変わっちゃうのはしょうがない』が積み重なって自分でも気付かないうちに以前と同じ熱量で宝塚を愛していないことに気づいたのはちょっと前のこと。
宝塚歌劇の新しい挑戦すべてに納得できないのは当たり前。
でもそのそうやって全てのことに『しょうがない』といいつYESマンでいようとした結果、以前のような情熱を宝塚に持てなくなってしまった。
なんだろう?
今の宝塚にスペシャル感(宝塚らしさ)を感じられないんですよね。
今でもショーは豪華絢爛だし、タカラジェンヌはみんなかっこよくて可愛い。
ただ、、昔よりも私が好きだった宝塚歌劇団らしい要素がなくなってきてしまっただけ。
宝塚歌劇団が目指す方向に私の好きな宝塚歌劇団らしさが見えなくなってしまっただけなんです。
たったこれだけのことなんだけど私にとっては大事なことだったようです。
ずっと好きは続く
宝塚を好きな気持ちはこれからもずっと続く。
だけど数年前のような燃えるような情熱を宝塚に注ぐことは今はできないだろう。
そんな自分もまた観察してみようと思う。
では。
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